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あたりさわりのない日々の記録

波風を立てぬよう、あたりさわりのないことを書いていきます

私は私

思考

と主張して、社会的な縛りから逃れたい、的な発言をする有名人はけっこう多いけど、そういう有名人的なふるまいや言動もまた、社会的なポジションを得たことによってなされているに過ぎなかったりする。

「有名人」という社会によって与えられた立ち位置からものを言っているに過ぎず、枠組みにとらわれた中での思考でしかない。

彼ら、彼女らは、比較的上等な檻の中から物を言っている、というだけのことなのだ。

本当に私は私、と思って生きている人は、いちいちそんな言葉を口には出さない。

おおざっぱに歴史と物語を分けると

思考

歴史は正確だけど退屈。

物語は必ずしも事実じゃないけど面白い。

 

聖徳太子は実際はそこまですごいひとじゃなかった。

というのが史実。

聖徳太子は万能の天才だった。

というのが物語。

レオナルド・ダ・ヴィンチも同じらしい。)

 

学者は面白いかどうかはどうでもいい職種の人たちなので、せっせと史実の正確さを追求していればいい。

エンターテイメントに関わる人は、正確さにこだわり過ぎずに物語性を追求した方がいい。

そうでないと面白くならないし、売れないから。

 

別にどちらが正しいわけでもなく、求めるもの、与えたいものに応じて歴史と物語を使い分ければいい。

 

例えば三国志の正史を読む人は少ないけれど、三国志演義を読む人はたくさんいる。

しかし正史にも演義にもそれぞれに価値はあるし、その高低は、どこに基準を置くかによって変わる。

近況ってあるけど

思考

遠況ってないな、とかふと思った。

一年前はこうだった、とか十年前はこうだった、などと言ってみても、関心を持つ人がいないからだろうか。

昔のことは細かくは思い出せなくなっているから、語りようがない、というのもあるんだろうけど。

こういう日記を書いて積み上げて振り返れば、遠況を語ることも可能になるかもしれない。

語ることに意味があるかはわからないが。

アメリカでは

メディア

新聞の購読をする人が増えているらしい。

ネットで流通する情報の質の低さ、品のなさにうんざりしたからでは、というのが原因のひとつとして考えられているようだ。

それは私もここ数年感じていて、質の低いものが大量に蔓延すると、有料の質がしっかりしたものに対する需要が増える、ということなのだろう。

無料のものはしょせんそれだけの価値しか持たない、ということでもあるし、広告モデルの限界が見えてきてもいるのだろう。

こうした問題は、情報格差の拡大にも影響をおよぼすと思われる。

時間は

思考

大事にしないとあっという間になくなってしまう。

時間を大事にする意識の度合いの差が、その人が生涯で成し遂げることの総量の差となって現れるんだろう。

好きなだけ無駄遣いするのも自由、というのも時間という資源のいいところではあるけれど。

Nintendo Switchの気になるところ

ゲーム

Nintendo Switchを入手して2日目になって、ちょっと冷静になってくると、気になるところが出てくる。

端的にまとめると

・重量

・バッテリーのもち

・メモリーの容量

の3点だ。

 

両側にjoy-conをつけてプレイしていると、ちょっと重いかな、と感じる時がある。

膝の上などに載せてプレイする分にはそれほど気にならないけど、腕の力だけで長時間持ってプレイするのはしんどいかもしれない。

特に女性や子どもにはきついだろう。

 

バッテリーの持ちはそれほどよくない。

公式は2.5時間〜6時間と言っているけど、旅行などで持ち出すことを考えると、6〜10時間くらいはほしい。

今のところ家でプレイしているからいいのだけど、外で重いゲームをプレイするには、モバイルバッテリーが必須になりそうだ。

 

モリーの容量は本体が32GBで、microSDで追加するスタイルだが、microSDは容量に対するコスパはあまりよくないし、ダウンロードゲームをたくさん入れるのは厳しそう。

 

とは言え、3万円のデバイスであることを考えれば、それほど文句を言うところでもないのかな、という気もする。

 

このあたりの問題点は任天堂も認識しているだろうし、Switchの路線に見込みがあると踏めば、Switch2、Switch3といったように、iPhoneのような上位バリエーションが出てくるかもしれない。

抱えている問題が昔のスマホと同じなので、順調に行けばそういう展開が出てくるだろう。

 

「家庭用ゲーム機」という存在自体が既に古めかしいので、「いつでもどこでもハイクオリティのゲームが遊べます」という路線に切り替えたことは正解だと思う。

(いまどき家でしかできない、というのはマイナス要因でしかない)

この路線を継続して、完成度を高めていってほしいと思った。

人間という生き物は

思考

思い上がりたがる生き物なんだなあ、ということを感じた。

とある競技について調べていたら、それをやっている人の中には「自分はこのフィールド(山の中)では強者だ」とか考える人が混じっているようだ。

そう思うためにその競技をやっているのだとしたら、ちょっと薄気味悪いと思う。

 

自然の中では、生身の人間なんて等しく弱い存在だということがわかっていないのだろう。

ちょっと滑ったり転んだり、落ちてきた石に当たったりするだけで、死ぬ時はあっさりと死んでしまう。

だから大半の人間は、山に対して慎重に取り組む。

 

蟲師」というアニメで、山の動物を自在に狩る力を身に着けた男が、自分は強者だと思い込んでいたけど、最後は腕を食われてしまう、という話があった。

思い上がって山に登る人間は、いずれ同じような目にあうだろう。